壺中居の来歴 HISTORY
壺中居のはじまり
1924年(大正13年)、廣田松繁と西山保(俳号 南天子)により神田区連雀町(現在の千代田区淡路町)の小さな商店街、喜雀苑にて創業。
その後、京橋区南槙町を経て、1928年(昭和3年)日本橋区箔屋町(現在の日本橋三丁目)の東仲通り、通称「骨董通り」沿いに店舗を移転。
1933年(昭和8年)、西山が急逝。享年三十三歳。
1938年(昭和13年)、廣田松繁の甥、廣田熙が店を継ぐ。
一線から退いた廣田松繁は、奥田誠一氏より贈られた「不孤斎」の号を名乗る。
1948年(昭和23年)、不孤斎、廣田熙、横井周三(五葉堂)、竹森弘、土屋隆らにより株式会社壺中居として改組、廣田熙が代表取締役に就任。現所在地に移転した。
1973年(昭和48年)、東畑謙三氏設計による現在の店舗が落成。
壺中居の屋号は「壺中之天」の故事から、創業者の南天子と不孤斎により名付けられました。そこには、日常の中にある別天地であることを願い、美術を愛する皆様の憩いと楽しみの場でありたいという二人の想いが込められています。店内には、会津八一氏(秋艸道人)の揮毫による壺中居の看板が掲げられております。
- ― 壺中之天 ―
- 時は中国後漢時代、汝南の町に費長房という役人がいた。ある日、この男は薬を売る壺公という老人と出会う。老人は商売を終えると、店先に吊るしていた壺の中にすうっと入ってしまう。不思議な光景を目の当たりにした男は、老人に頼み壺の中に入る許しを得る。そこには荘厳な楼閣が立ち並び、美酒佳肴に満ちた仙境――桃源郷が広がっていた。共に俗世を忘れ、暫し楽しんだのち再び戻ってきたという。(『後漢書』方術伝)
当店からのご挨拶
中国・韓国・日本を中心とした東洋古美術、主に陶磁器を取り扱っております。日本を始め世界のコレクター、美術館の収集を一世紀近くにわたりお手伝いして参りました。最近では、数寄者や文士の本をご覧になりご来店される方も多く、また店の看板をお目当てにいらっしゃる書家の方も珍しくありません。美術品を愛する方、ご興味をお持ちの方にお気軽にお立ち寄り頂き、心ゆくまでゆっくりとお寛ぎ頂ける空間であることを願っております。
株式会社壺中居 代表取締役社長 松浪 幸夫
店舗のご案内 ACCESS
壺中居KOCHUKYO -ORIENTAL WORKS OF ART-
お取り扱い | 東洋古美術(中国・韓国・日本)の古陶磁器・絵画・金石 |
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電話 | 03-3271-1835 |
営業時間 | 11:00〜18:00 |
定休日 | 日曜日、祝日、第1・3・5土曜日 ※第2・4土曜日は営業いたします。 |
所在地 | 103-0027 東京都中央区日本橋3-8-5 日本橋高島屋本館、さくら通り口の正面です。 |
最寄駅からの アクセス |
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